9月14日(火)
■M高校で授業。楽しく。
■家に帰り、死刑執行のニュース。判決がつい最近だったためか、正直「ああ本当に死刑というのは行われるんだ」と思った。死刑制度について世界で是非が問われていることは知っているし、これをテーマにした映画も多いけれど、所詮はあちら側の世界の話、そんな風に思っていた。
■それで話は、村上春樹の新刊「アフターダーク」になるわけですけど、読んだ?
僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそりと忍び込んできているのに、そのことに気づいていないだけなのかもしれない。
■これは登場人物が大学のレポートを書くために裁判を傍聴しながら感じたってことになっていて、あっち側というのは、犯罪を犯した人の世界を指しています。
■小説としては、たぶん評判はあまりよくはないような気がするけど、この言葉はたまたまだけれど、ヤマダの胸に少し肉を伴って響いたのだよ。
■それで、また話は飛んで、今年の3月に上演した「トリガー」のチラシに、ヤマダはこう書いた。
遠い国のテロを伝えるニュースは、どこか他人事のように思える。そしてこの国で毎日のように報道される殺人事件のニュースも、やはりどこか他人事だ。
しかし、例えば、あなたの肉親や、愛する恋人が、当事者になったとき、おそらくその感覚は一変する。・・・誰もが、当事者になり得るという可能性があるという事実に直面するからだ。
被害者だけではない。加害者、つまりあなた自身が殺人という罪を背負う可能性もあるのだ。もう殺してしまいたい、という感情を抱くことと、殺人という行為におよぶそのあいだに、果たして境界線はあるのだろうか。あったとしても、そのラインは日に日に薄れてきてしまっているように思えるのだ。
■ヤマダは村上春樹よりも先にこんなことを書いていたわけです。、、、ま、冗談です。
■ベセト関連の調整の仕事を急いで片付けて、稽古場へ向かう。山手線、人身事故。またかよ、、、と思っていると、事故のあった新大久保の駅でそのヤマダの乗った電車は待機をはじめた。ホームには同じく「またかよ、、、」と思う人、座り込んで漫画を読みふける高校生の姿、救出(といっても現実的には死体処理なわけですが)を行う救急隊員と野次馬たち。口々に発せられる、情報。白い布を被せられタンカで運ばれる遺体。駅員は、一刻も早い正常ダイヤに戻すことに精一杯の様子。
■電車の中でその光景を見ていると、今日で二人目の死人だ、と心で叫ぶ自分がいる。今日死んだ人は、もちろんもっとたくさんいるだろう。人の死には、一人称、二人称、三人称の死があるといわれているけど、今日ヤマダの前に横たわった死んだ人は三人称とは言い切れない、なんというかそのどれにも当てはまらない匿名の死とでも言うのかな。
■急ブレーキをかけたのだろう。後処理が終わり、正しい位置まで電車は動く。人々を乗せて、電車はゆっくり前に進む。何もなかったのように、人々はそれに従う。やがて、電車は走り出した。もうなにもかもを忘れてしまったように、ごく自然と走り出す。
■稽古場につくと、俳優は自主稽古中。電気が消され、ケーキが運ばれる、まったく、、、ヤマダの誕生日ケーキだよ。ありがとさん。
■また明日だな。とにかく。
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