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公演終了しました(その3)

さて、そのような進め方をしていると、ある日こんな夢をみるのです。

「今稽古している作品は面白いんですか?」

と問われる夢です。

もちろん、世界中のどこにも、作品を「つまらなくしよう」と思って稽古をする人間などいませんし、当然「面白くしよう」と思って稽古をしています。

しかしながら、新作演劇公演の場合、作品を作りながら宣伝をするという、非情に特殊な興行形態ですので、俳優にとっても、演出家にとっても、「作品が面白いのかどうか」の客観的なジャッジはとても大切です。

作品に関わるすべての人間にとって「この作品は面白くなる」という予感は(予感でいいのですが)なくてはなりません。いくら先が見えない稽古を続けていても、稽古場はこの予感で満たされなくてはいけない。

それにはまず、何が必要でしょうか。

信頼感。この人とやっていけば、いずれ「面白いものができるはずだ」という信頼感。これ以外にキーワードを思いつきません。

もちろん、このような目に見えないものに支えられている以上、稽古場が「不信感」に満ち溢れることだってあるでしょう。しかしそこはプロですから、作品は成立させなくてはいけないし、だから「面白くないか」と言われたら、それでも「面白い作品」を作ることは可能です。

あくまで私が言っているのは、いったいどのような作品になるのか、演出家の私もわからない状態で作品づくりを進めるためには、「面白くなるだろう」と思ってくれるメンバーの存在ということになるわけです。

今回の「溺愛」はもちろん、「通りゃんせ」「シンクロナイズド・ガロア」の現場でも、信頼できる俳優に支えられ、自分が見たこともない作品、想像もしなかった、けれども本当に作りたかった作品へと結びついていったのです。

舞台芸術にとって、その多様性、そして先駆的な表現を支えるのは、このような地味だけれど重要な、作品創造のための信頼を生み出すことではないかと思っているのです。

そしてそれは、私たちが劇団を続けるための、ひとつの大きなモチベーションになっています。(まだ続く)

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覗いてる

覗いてる
群がっています。

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公演終了しました(その2)

稽古がはじまりました。俳優が台本を読み、作者である私は稽古場でその音を聞いています。作者である私自身が、よくわからないまま書き進めているので、俳優はもっとわからないはずです。この「わからないまま稽古をする」というのが、実は今の自分にとっては大切な体験で、やってみたいことのひとつです。

しかし「わからないのに進める」というのは、それだけでストレスを生み、誤解を生み、焦りを生み、混乱を招きます。そんなこと、当然ですけど、今の自分には、この創作の手順が大切なんです。

しかし演出家である私は「わかりません」ということを言っては(本当は)いけません。しかし「溺愛」は本当にわからなかった。中学のとき、現代文の授業で教師に感想を求められ「何もわからないので、授業が進むのがとても楽しみです」と答えたことがあったことを思い出します。

こうして稽古は「実は誰もわからない」まま始まりました。俳優と、濃い霧に覆われた森に入っていくのです。アイディアが出て、検討し、またアイディアを出して・・・と言った具合に。とりあえず作品として立ち上げるためには、舞台装置のイメージからだね、と稽古場で俳優と一緒に考えました。本当にそんな段階からスタートしたのです。

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