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公演終了(番外編)

ここについ最近、目にした文章を引用したい。

一人目はOrt-d.dの演出家、倉迫さん。劇団の自主公演と、大学などでの演劇作品作りを平行して行ってらっしゃる。彼の連続ツイートから、引用させてもらった。

(ここから、引用)

「なぜ他者に向けた自主的な公演を行うのか」の解明と実践だ。「演劇をすること」と「自主公演を行うこと」はイコールではない。

「演劇をすること」によるそれらの充実や成果と「劇団で自主公演を行うこと」よって得られる充実や成果の違いは何か、それを具体的かつ明確にしなければならない。

というと「手法の試行錯誤ができる」や「劇団員との関係性を深める」という解がすぐに浮かぶがどうもそれは違うようなのだ。

違うと思った理由はいろいれあるのだが、最も大きな理由は「手法の試行錯誤」にしても「劇団員との関係性」にしても一見具体的なようで実は総論的題目的なものでしかないということだ。またそれらを目的に自主公演を他者に向けて行うのは内向きな理由過ぎる。

(引用終わり)

つぶやきを引っ張ってきちゃうのは、なんとなく申し訳ないんですが、たまたま数日前に、じっくり膝を突き合わせて、5時間くらいお酒を飲みながら、同じようなこと話したから、たぶんあまりずれたツイートじゃないだろうと思って、思い切って引用。

つまり、価値は十分認められるけれど、倉迫さん自身はなんとなく「それだけになってしまう」ことに違和感を感じていらっしゃる。

一方、面識は全然ないんですが、DULL-COLORED POPの谷さんのブログより。新人募集にあたって。(2年間、活動を休止していたようです)

http://www.playnote.net/archives/002308.html

(ここから、引用)

2年弱の活動休止で感じたことの結論が...俺はやっぱり、誰かのためにモノ作りしてるって場所が欲しいし、一ヶ月や二ヶ月ではシェアできないものを抱えて演劇を作りたい。という欲求不満。

プロデュース制の公演も外部公演も、可能性を試したり強烈な逸脱をしたり、意味のないことではない。でも、演出家にとっては自分の片腕になるような出演者は何より重要な武器になるし、脚本家にとっては「この人のためにこういう役を書きたい」という衝動は立派な表現欲求なんだ。

劇団制とか一度死んだようなシステムに改めて自分がこだわるのは、俺たちバラバラになっちゃうと全員弱くなるばっかりで、みんな死んじゃうよ、使い捨てられちゃうよ、っていう危機感もあるし、誰かと一緒に長い目でモノ作りしたい&そうして本当に個性的で圧倒的なものを作りたい、って欲望もあるからだ。

(引用終わり)

谷さんは1982年生まれ、倉迫さんは1969年生まれですから、だいたいひとまわり年齢が違います。ちなみに僕は1971年生まれです。

僕としては、思考としては谷さんに近く、実感としては倉迫さん近いというところです。そして大きいのは、谷さんは台本を書くけど、倉迫さんは、台本は書かず、演出だけおやりになるという違いもあるかもしれません。

演劇というのは、集団が必要不可欠です。それは、両者とも実感しているに違いない。問題は、どのくらいの距離をとり、どのくらいの親密さを集団に持ち込もうとしているのか、という違いです。

うまい例えかどうかはわかりませんけど、学校の先生なんかも同じで、生徒となるべく友達のような関係を構築しようとする人と、なるべく距離を置こうとする人に分かれます。だけれど、そのどちらも、どうやって信頼関係を作ろうとするのか、その手つきの問題だと思うのです。もちろん、前者に若い先生が多く、後者にはベテランが多いと思います。

さて、では私は、どのように考えて、どのような実践をしていけばいいのでしょうか。これは、次の更新に続く?と思います。

※勝手に引用しちゃってすいません。だけど、ネットで誰も読めるものですから、いいですよね?(山田)

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