私の使命
思想地図βの冒頭に、東浩紀さんが「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」という文章を書いている。私たちは、平等ではなく、同じ災害を前にしても、被害の深さと対応力は平等ではなく、その不平等を埋める力も政府にはない、とある。
私自身、これまで不平等を強く感じることは正直あまりなかった。もちろん、不平等だなと思う対応や扱い、局面を迎えることはあったけど、40歳のひとりの成人としての平均値をやや下回るくらいだと思う。
私には小さい子供がいる。
台本を書いたり、資料を読んだりするときに、小さい子供が同じ空間にいるというのは、なかなか大変である。どんなに言って聞かせても、足元に絡みついてくることがあるし、セリフが思いついたその瞬間に邪魔をされると、腹が立つ。
だけれど、そういった現状を「不平等だ」と思ったことはなかったし、それ以上、いやその何倍ものプラスの体験を、子供は親にもたらしてくれる。
しかし、東さんの文章を読んでからというものの「子供がいること」についての不平等さ、いやそうじゃないな。「子供がいないということ」の自由について考えてみたりするのは、それほど「悪いこと」ではないのだ、と思うようになった。
繰り返すが「子供がいることが嫌だ」と言っているわけではない。はっきりいって子供の存在は、私の精神的な柱になっている。しかし同時に「小さい子供を今のこの世で育てること」への不平等さも感じる。なぜ私が子育てをしていて、あなたはしていないんだという思いだ。
だから政府に「どうにかしてくれ」と要望を出したいわけでもない。同情を寄せてもらいたいわけでもない。まして、子供手当てや、保育所の問題を論議したいわけでもない。子供を切望しているのに、様々な理由で授からない方からしたら、何を言っているのだとお叱りを受けるかもしれないことも、承知している。
しかし私は、東さんのこの文章を読んで、震災後の私の中にあった、「なんとなくもやもやしていたもの」を言い当てられてしまった。
出生率はどうなるのだろうか。このまま高齢化が進んだら、医療はどうなるのだろう。少子化によって、経済は破綻するのだろうか。放射能はどうなるんだろう。それらに目をつぶることも一つの選択だ。「知らない、なるようになるさ」という態度は、だけど、あまりに無責任だ。
責任を果たさなくては。誰にだって、使命というやつがあるだろう。それはなんだろう?演劇の作品を作ることなのか?作品はつくるさ。だけど、それは責任か?使命か?と言われると、少し違う。
もちろん、子供を見つめ続けるというのが、親としての大きな使命の一つではあるのだけど。


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