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観客はいったいどこにいるの?

若い演劇人のカップル(だいたい演劇人は演劇人どうしで付き合う)は、こんな会話をして、芝居を観にいくはずだ。

「来週のあの芝居、行かない?」

「へー、観たことないな」

「結構、面白いよ」

「じゃあ行くか・・・えーっと、金曜がいいかな」

「わかった、じゃあ予約しておくね」

そして観劇したあとは、一緒に観た芝居の内容をあれこれ話しながら酒を飲む。なんて幸せな時間だろう。

僕の場合、子供ができてから一番変わったことのひとつが、観劇にいく機会が減ったということである。

いくら託児サービスがあっても、劇場まで2人の子供を連れていき、子供を預け、託児料金を払い、2時間ほど観劇をし、また家まで2人の子供と戻ってくる。これだけで1日仕事になる。最近はだいぶ慣れたけど、本当に子供連れの移動は疲れる。観劇以前に、こういうことが面倒になってしまい、よっぽど何かがないと観にいかなくなる。

僕一人がフラフラと出掛けていく分には、子供の問題は発生しないわけだけど、これもまあ気分の問題というのがあって、家に帰って、子供を風呂にいれて、夕飯食べて、くつろぎモードに入りつつある雰囲気の中で、自分ひとりが外出のために着替えて、電車に乗って、都心へ向かうっていうのも、そこにはかなり強い動機が必要になる。「そこまでして行く必要あるのかな」と思うと、つい「まいっか」と思ってしまうのだ。ましてや、ひとりで芝居観て、一言も喋らないっていうのは、あんまり面白くない。やっぱり芝居を観たあとは、誰かと話したいものです。

おまけに「観劇」という行為は、あくまで「芝居を観る」ということであって(半分仕事とはいえ)、なんちゅうか後ろめたさが伴う。「パパどこ行くの?」「ん?これからお芝居を観にいくんだ」・・・なかなか理解されにくい。

よって観劇は、平日マチネが、圧倒的に多くなった。芝居を観て帰っても、夕方だからね、問題ないんです。

たまに観た芝居で「奥さんも観て欲しいなあ」と思うことがある。そういうときは、自宅で子供を僕が預かり、奥さんだけに出掛けていってもらう。それが、夫婦にとって一番いい方法だし、少なくとも芝居を観てがっかりすることもないはずだ。同じ芝居を観た後は、家でも会話も弾む。手間はかかるけど、やっぱりこういう時間があるから、観劇っていうのは楽しいわけですよ。

えーそれでですね、これが普通の方のブログじゃないことを思い出していただきたいのですよ。僕も、奥さんも演劇人なんです、そもそも。そういう人間ですら、子供が出来てから、観劇ってものが、ものすごく大変になっているのです。まして、一般の観客の方にとって、さらに劇場から足が遠のくと思うのです。

子育て中の若い夫婦とか、働き盛りの男性とか、そういう人が劇場に参加してくれると、きっといろいろなものが変わると思っていますが、どうなんだろう。演劇だけのことじゃないけど、なかなか劇場に来るのって大変なんですよね、どうしたって。

劇場文化の中に、どうすれば接点が生まれるのでしょう。

「そりゃ、あんたの家が都心から遠いからだよ。下北沢に引っ越せばいいじゃないか。」

はい、それもおっしゃる通り。確かに、今の家は都心からは遠いですな。でもね、そういうことに頼っていては、芝居が都市のものによる、都市だけのためのものになってしまって、それでいいのか、ってことなんです。

大都市の中で、大都市に暮らす人に向けて芝居を作るって、やっぱり具体的なイメージが浮かばない。観客はいったいどこにいるの?

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人の心は、狙ったものでは、動かない。

モノをつくっていると

「あと少し何かが足りない」

といつも思います。

何が足りないのか、

それがわかるときはいいのですが、

足りないんだけど、それが何かわからない、

ということの方がだいたい多い。

だけど、ふとした瞬間に、それは補われる。

いや、補われたかはわからない。

別のいい所が、その足りない感じを忘れさせただけなのかもしれない。

いずれにせよ、その瞬間っていうのが、

モノをつくっているときに、一番楽しい瞬間。

その瞬間のために、他のすべてが存在する。

僕は、台本を書くってことさえ、

その瞬間のためって考えている。

この部分を理解してもらわないと、

演出家、山田になったときに、大きく誤解されちゃう。

僕が「自由にやってみてください」と言ったときの

「自由」って意味について。

長く一緒にやっていると、たぶんわかってくれるんだけど、

はじめて一緒にやる俳優には「自由」の意味から説明しなければ、

いけない。

それを去年の「通りゃんせ」という芝居のときに教わった。

話しは戻って、補うもの、についてだけど、

それはいつも、ひょんなところからやってくる。

それって求めても、なかなか手に入らない。

本当に、何でもないときに、ふと感じる。

モノをつくるって、そのための準備を、手を抜かずにやるしかない。

狙ってできるものじゃない。

人の心は、狙ったものでは、動かない。

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演劇的な転機

僕にとっての演劇的な転機は、

若い演劇人のための集中講座と、

アゴラのワークショップ研究会

だと思う。

集中講座は2000年と2001年(たぶん)、ワークショップ研究会は2003年と2004年の2年間である。年齢でいえば30歳を少し過ぎた頃、今考えると、あんなにタフな活動をよくまあ、やれたものだ。

あのときの仲間は(演劇から離れてしまった人も多いけど)いまだに、よきライバルだと思っているし、刺激を受けている。で、ようやくそれぞれの得意分野をきちんと発見し、それに向かい始めているのではないか。

きっかけを与えられ、試行錯誤があり、自分の手で、自らの方向性を発見し、定める。そこまでいくのに、これだけの年数がかかるのだ。

これは、今30歳を少し越えた人へのメッセージとしてもいいし、私たちがこれから先の10年を見据えて、何をすべきかを考えるヒントにしてもいい。

いずれにせよ、目先の結果や、成果だけを考えていてはダメで、今やっていることは、10年くらい先になって、ようやく意味を帯びてくる、くらいのスタンスがちょうどいい。逆に言えば、人生、そんなに多くのことは成し遂げることなんてできない、ってことかもしれない。

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「言葉」を紡ぎだすものを

ひとと話していると、「実はこんなことを思っているのか」と気付かされることがある。しかもその言葉というのが、あたかも「前からずーっとそうなんだよ」という確信とともに語られるから不思議だ。

しかし一方で「本当にそんなこと思っているのか」と、自分の発言を疑うことも多い。

でも、いったん言葉に出すってのはいいことだ。それが例え真意と少しずれていたとしても、言葉にすることで考えるきっかけになる。

今、そんな言葉を交わすための「場」が必要だ。

家庭でも、職場でもいい。どこかにその「言葉」を吐き出すための、きっかけを与え、背中を押してくれるような、そんな「場」が必要だ。

芝居を観ると、誰かと話したくなるのは、作品がそのきっかけを与えてくれたからだろう。つまり芝居っていうのは、観る人の身体の中に、最初の振動を与える「きっかけ」になればいいんだ。できれば、本人が気付かないよなもの、だけど確実に新たな「言葉」を紡ぎだすもの、そんな振動をたてる。

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サーチライトと希望

ある企画を進めていて、2009年に上演したサーチライトのパンフに書いた文章を再読した。以下その抜粋です。

秋葉原の無差別殺傷事件後、電車に乗ると、誰かがナイフで刺すんじゃないかと少し不安だったことがある。アメリカに端を発した経済危機は、100年に一度の大恐慌と報じられ、これから先、何があってもおかしくないと思うようになった。つまり漠然とした不安だ。毎日が希望と夢で満ち溢れ、未来はただ明るいだけ、というわけにはいかない。

そんなとき、論座という雑誌に載った、赤木智弘さんの『「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。』という文章の存在を知った。そんな馬鹿な主張を認めるわけにはいかないと思ったが、彼に反論する文脈を持ち合わせていなかった。

私たちは「希望のない社会」より「希望のある社会」を望む。アメリカの大統領に日本に住む私たちが熱狂するのも、そう考えれば少し理解できるし、内閣支持率が下がり続けるのもわかる。オバマには希望を感じ、麻生さんには抱けないからだ。ただし政策を知り達成度をチェックしているわけじゃない。世論というのはそういうものだろう。

そもそもそういったものは、個人によって異なるし、与えられるものじゃない。若者が未来に絶望し、余命数ヶ月の人が希望を抱くことだってある。だから演劇で、作品で、希望の在り処を具体的に照らし出すことは物理的に困難だ。出演者が全員で「希望はある」とか「無限の可能性!」だなんて叫んだら、たぶん余計に悲しくなってしまうんじゃないか。

たった数年前のことなのに、今読むと、すでに「古い」ですよね。劇作家って大変だ。古典をやる意味とか、すごくよくわかります。だって、僕が次に書く戯曲だって、数年たてば「古く」なるわけですから。だけど本当は、何年たっても古くならないものを書かなくちゃいけない。難しいよ、でも目指さなくちゃ。

サーチライト2をやりたいと思っています。もちろん、3・11後、原発事故の後のこの国にある希望を、息子の失踪というモチーフだけ活かして上演すると。できれば、複数の劇作家に執筆を依頼したい。そういうものって、もしかしたら「古くなる」かもしれない種類のテキストかもしれないけれど、今やらなくてはいけない内容ではないかとも思うのです。

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