ALWAYS
ALWAYS三丁目の夕日64をブルーレイでみる。堤真一と薬師丸ひろ子が、堀北真希を送り出すプロットが全体の3分の1。娘を二人持つ父親として、不意打ちで、泣けてくる。たまたまかと思うが、同時に、自分の親のことを想像してしまい、さらに涙。
ALWAYS三丁目の夕日64をブルーレイでみる。堤真一と薬師丸ひろ子が、堀北真希を送り出すプロットが全体の3分の1。娘を二人持つ父親として、不意打ちで、泣けてくる。たまたまかと思うが、同時に、自分の親のことを想像してしまい、さらに涙。
新学期が始まった。演劇を続けていられるのも、私が学校でモノを教える仕事をしているから。ありがたいことです。
夏休みが終わって最初の授業。「夏休みどうだった?」とか「お前、真っ黒だなあ」などと、雑談でもしながら、授業に入っていくのが理想だけど、どうもそれができない。というか歳を取るごとに、下手になっている気がする。
この仕事を始めたばかりのころは(おそらく1998年くらい)授業なんてやめて、雑談しようぜ、って感じだった。それなのに今は、いきなり授業をはじめる。どうも雑談するのが苦手になってしまったのである。
たぶん「面倒」なんだと思う。「雑談」はアドリブでなければ面白くない。用意された「雑談」ほど、つまらないものはない。だから、エネルギーがいるし、瞬発力も必要だ。おそらくそうしたものを無意識に避けているのだろう。
まあ「雑談」なんていうのは、別になくても文句はでないからいいけど、だんだんこの「面倒くさい」感じが、他の部分に出てきたらやっかいだ。その最たるものが、人間関係だろう。「雑談」はいわば、教師が生徒に近寄る「サイン」のようなものである。つまり人間関係を構築する第一歩だ。
面倒くさらずに「雑談」をしていかなくてはならないと思った次第である。
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